2007年現在では28機のF-4Eを保有しており、2個飛行隊が編成されている。
カイロ・ウエスト基地 : 第222戦闘機連隊 - 第76飛行隊 - 第78飛行隊
イラン
1968年に親アメリカのパーレビー王朝下で導入した。当時は莫大な石油がもたらすオイルマネーで西側を中心とした先進兵器を次々と買いあさっていた時代であった。1966年にはイラン空軍が32機のF-4Dを発注しており、ベトナム戦争真っ只中でF-4の生産に余裕がなかったアメリカだったが、イラン向けF-4の生産には熱心だったと言われている。その後、1970年代初めから中期にかけて総計208機のF-4Eを発注し、1971年3月からイラン革命直前の1979年までに177機が引き渡された。これらに加え、偵察型であるRF-4Eを27機発注するが、第1陣の16機が引き渡された時点でイラン革命が起こり、第2陣以降は未引き渡しとなった (後述)。
ただし、現場要員達の質は低かった。当時、カリフォルニア州ジョージ空軍基地での訓練の際にイラン空軍と航空自衛隊のパイロットや整備員たちが机を並べたが、航空自衛隊パイロットの一人は「たとえ一時限の講義を理解するのにも大きな隔たりがあった」との感想を述べている。そんな彼らでも大部隊を編成・維持できたのは、アメリカの航空機産業を丸抱えできるほどのオイルマネーの恩恵だった。F-4に限らず、1960年代から1970年代のパーレビー王朝時代は、F-5を皮切りにF-14など多種の軍用機を輸入・導入契約を行っている。結果、イラン革命直前には225機のF-4を保有するに至り、286機を受領したイスラエルに次ぐ大規模保有国となった。
しかしながら、1979年2月28日に発生した反アメリカ派のルーホッラー・ホメイニー率いるイラン革命の際、親国王派が中枢を占めたイラン空軍では親国王派パイロットたちが政治犯として次々と投獄された。F-4もアメリカの武器輸出禁止の影響を受けて、発注済みの機体の引き渡し拒否や支援等が一切受けられなくなった為、稼働率が著しく低下した。それでも、新政権がオイルマネーに潤っている間は、闇市場などからの部品調達により何とか飛ばせる機体を維持していた。
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